ながいながい戦いが終わった。
決戦直後の話。
最後の出陣で、勝利を手にした彼らは、晴れ晴れとした空の下で、快哉を叫んだ。
部隊長は歌仙兼定。
以下、顕現順に、同田貫正国・獅子王・御手杵・蜻蛉切・日本号。
全員が最高練度に達した精鋭。
獅子王と御手杵が重傷だったが、帰陣には問題ない。
四肢も繋がっている。
上々だ。
正史に仇なす異形を斬る。
斬って、斬って、斬りまくった。
心地よい、戦の匂いが残る荒野で、同田貫は後の運命を呪った。
この戦の終結は、彼らが再び、ただの刀槍に戻ることを意味する。
後はただただ、在りつづけるだけ。
無用の長物に戻る。
もう二度と、戦場を駆けることは、ない。
御手杵にいたっては、既に失われた存在だ。
無に還る。
おそらくそうなのだろう。
同田貫は天を仰いで思った。
ならばいっそ、戦場で。
土煙と汗と血にまみれて消えたい。
「死合おうぜ。御手杵」
短く、物騒な言葉の意図を察するには、充分すぎる時を、共に過ごした。
「わかった」
──俺たちは武器なんだからさ
首尾一貫、二人の間にはそれしかない。
「俺さぁ……薄々こうなる気はしてたんだよなぁ」
御手杵が呑気に言う。
同田貫は心底、嬉しくなって
「最後に立ってたほうが勝ちだ!」
と、声を張り上げた。
二人は面と向かい合い、共に笑う。
「やめないか!」
歌仙が悲壮な声をあげ、同田貫の肩に手をかける。
その手は、震えていた。
「戦らせてやれよ!」
日本号の声に、歌仙は潤んだ瞳で振り返る。
「どうせこれで、終いなんだからよ」
枯れた声音で言った日本号は酒瓶をあおる。
蜻蛉切は無言でうなずいた。
獅子王が明るい声で
「諦めなって!いつも言うこと聞かないだろー?この二人は」
と茶化して鼻をすする。
歌仙は胸の内で嘆息し、同田貫を抱きしめる。
同田貫はガラじゃねえなァ、と言うように、少し困った笑顔をうかべた。
歌仙の背中をポンポンと叩き、身を離す。
「ごめんなぁ」
御手杵がフニャリと笑った。
厨でつまみ食いが見つかった時みたいに、変わらない、見慣れた顔。
通りすぎる二人を、断腸の思いで見送る。
歌仙の目元を彩る戦化粧の朱が、ほんの少しだけ滲んだ。
同田貫と御手杵は、互いの武器にあわせて間合いをとる。
共に笑みは消えていた。
勝負は一瞬でつく。
この幸せな時は、永くは続かない。
二人とも分かっていた。
同田貫は初太刀での両断を信条としている。
反り浅く、強靭で豊かな刃肉は、驚くほど重量がある。
それが太刀筋を、より凶悪なものにする。
抜きつけの牽制は無用。
防御の技は、一切ない。
対して御手杵は、刺すことに特化した槍だ。
斬る・薙ぐことは想定しない、鋭く潔い構造。
谷のように深い樋が刻まれている。
正三角形の穂先は、刃長・四尺六寸。
その長大で禍々しい刃は、肉の身を一突きで討ち果たす。
同田貫は襟巻と喉輪をひったくるように外し、装備も脱ぎ捨てる。
襟元を割って諸肌を脱ぐと、静かに抜刀した。
それを合図に、二人あわせて数歩すすみ出でる。
向かい合い、下方で軽く剣先をあわせたまま、腰を落とす。
目礼。
同田貫が納刀し左腰に添える。
右手は太腿へやり、姿勢を正した。
互いの目を真っ直ぐに見て、暫し。
清浄で心地よい剣気が流れた。
二人はスッと立ち上がる。
ながい間が、あったような気がした。
同田貫の右手が、僅かに動いた刹那。
猿叫とともに鞘を返し、凶悪な『抜き』を放つ。
御手杵は初めての手合せで、同田貫に惨敗した。
小柄な同田貫の間合いを、完全に読み違えたのだ。
『抜き』は、帯刀した状態から一気に切り上げる抜刀術。
身体を大きく前傾させ、低い位置から放つ。
下からの抜き上げはみえづらく、間合をはかるのがむずかしい。
そのため相手の予想を遥かに超えた距離まで届く。
筋力はあれど小柄な身体で、長大な武器をたやすく制する。
その技量に御手杵は、ただただ魅いられた。
おもしろがって、何度も何度も手合わせを乞うた。
そうするうちに互いの動きは、嫌ってほど身体の奥に馴染んでいった。
「勝負あり!」の声がかかり、上目遣いに見据えてくる、金色の目。
御手杵は大層、気にいっていた。
それだけじゃない。
よくみると幼い顔に、斜めに走る、二筋のケロイド。
鍛えられた小さな身体を覆う、手入れでは消えない傷。
まぁ、そういった所も。
グチャリと肉を刺す音が響く。
御手杵の刃は、同田貫の胸を深く突き刺し、背中まで達していた。
「あ゛っ……ぐっ!!」
凄まじい苦痛に声が漏れる。
胸が焼けるように熱い。
生理的な涙が流れ、吐息が潤む。
喉の奥に、鼻腔に、グッと生温かいものがこみ上げる。
ガサガサした唇の両端から、血がコポコポ溢れて止まらない。
ガクリと膝が崩れ、倒れまいと咄嗟に左手で御手杵の刃を掴む。
鞘が地べたに落ち、カランと鳴った。
手のひらに血が滲む。
(あぁ……終わる。終わっちまう)
ハァハァと肩が上下して、胸糞が悪い。
両脚を踏ん張り、右手に下げた刀を強く握りしめた。
傷ついた左手で鼻血をビッと拭うと、再び胸に刺さる刃に手をやる。
少し前方を握り、力を込めた刹那、身体を倒しながら一気に胸の奥へ押し込んだ。
「あぁあ゛ぁぁあぁあ゛あぁあっ!!」
壮絶な声を漏らし、身体が弓なりに反る。
痛みも乱れた呼吸も無視して、刃を握り、もう一度。
惜しむように、御手杵の刃をグチ、グチと自らの身体に埋めていく。
「ぐっ……うっ、ああっ……はぁっ、ぐっう……んっ、あ……んっ……」
ぽとり、真っ赤な小指が落ちた。
「……おて、ぎね……」
遂に根元まで深く咥えこむと、愛おしそうに名を呼んだ。
深い樋をつたって、ドロドロと血が流れて落ちる。
御手杵はそれを、じっとみつめていた。
歪んだ笑顔で、同田貫は言った。
「そんな……悲しい顔、するなよ……」
ひどく、優しい声音だった。
満足したように俯いて
「あぁ、やっぱ……アンタはいい武器だ」
と呟いた。
凄惨な血溜まりが、みるみる広がる。
御手杵の槍が脈動する。
ドクン、ドクンと。
両手に感じる生命は、同田貫の身体が刻んでいる。
ついにたまらず、御手杵は柄を引いて抜こうとするが
「待て!」
と、同田貫が叫ぶ。
「でも!!」
「……このまま……逝かせてくれ……」
御手杵は、できるかぎりそっと同田貫に近寄る。
身体を支えると、もうほとんど力が入っていない。
それでもなお、懸命に立とうとしているのがわかる。
──最後に立ってたほうが勝ちだ!
はしゃいだ声音で、確かにそう言ったから。
同田貫の頬に手を添えて、少しだけ上に向ける。
大きな金色の目は、上目遣いに御手杵をみながら告げた。
「俺たちは……武器……なんだから、さ……戦で死ねてこそ……本望さ」
「……あぁ。そうだな」
御手杵のながい指が、右目のあたりから、ゆっくりと古傷をなぞる。
大きく見開いた金色の目は、少し震えると、促されるように瞼を閉じて、同田貫は果てた。
最期まで立ったまま、右手に握った刀は離さなかった。
指先まで細かな古傷でいっぱいなのを、御手杵は知っている。
その手を包みこむよう、そっと触れると、同田貫の身体が無数の桜花に変わった。
花弁は散って、吹雪のように舞う。
同田貫を呼ぶ、歌仙の絶叫が響く。
残る四振りは沈黙を守った。
同田貫の刀身は真っ二つに折れ、切っ先が血溜まりに刺さる。
傍に御手杵の槍が転がった。
手の内に残ったのは、同田貫の残り半分。
刀身と同様、飾り気のない柄巻。
目貫金具すら入れていない。
強度を増すため黒漆をかけて、黒い柄糸を平巻きにしてある。
擦り切れは、生々しい実戦の痕。
「アンタらしいなぁ……ホント」
御手杵は長身を屈め、自分の槍に添わせるよう、そっと置いた。
腰の防具を外し、青い腰布はバサッと地べたに敷く。
その上に膝をついて、血溜まりの中に刺さる、同田貫の刃に手を伸ばした。
そっと抜いて、Tシャツで血を拭い、綺麗な地肌と刃文をみつめる。
(短刀みたいになっちゃったなぁ。まぁ、ちょうどいいや)
ズボンの後ろポケットに手をやり、白いハンカチを取り出す。
蜻蛉切が気づいて、息をのんだ。
御手杵は刃先が五・六分でるよう、ハンカチを綺麗に巻きつける。
他の三振りも、意図に気づいたようだが、最早、止めることはしなかった。
歌仙が凛とした声で
「介錯は?」
と聞く。
御手杵は
「無用」
そう答えて、姿勢を正した。
皆の方へ一礼し、右袖からTシャツを脱ぐ。
他刃の前で肌を晒すのは好きじゃないけど、作法だから仕方がない。
同田貫の刃をとり、流れるように美しい動作で、自らの左脇腹に突き刺す。
右へ、右へ、形のよい臍の、一寸ほど上を、真一文字に裂く。
さらに縦に、鳩尾から自重をかけ、一気に切り下げる。
刃を引き抜くと、天を仰いで目を閉じた。
(ま、これも運命、か)
渾身の力で首筋を断った。
完璧な所作だった。
前のめりに倒れ、一度だけ地に弾むと、御手杵もまた、桜花に姿を変える。
槍の穂がバキリと折れた。
一陣の風が吹き、花弁は混ざり合って彼方に消える。
幾ばくかは血に濡れて、戦場にとどまった。
そうかい。
そんな姿になっても、君たちはまだ、ここに在りたい、か。
歌仙は呆れたように微笑んだ。
真っ二つに折れた刀と槍。
折れてもなお鋭く、ギラギラと光って、血溜まりと桜花を鮮やかに照らしていた。
──悪くない運命だ。そう、思わないか?
【完】